【激変】大腸(直腸)がん、ゆるかな下降から、一気に変調。

谷底に落とされたような、突然の変調。

<2011年4月>
この頃から、妻が僕の体を気にしはじめた。
薄々気づいてはいたと思うが、僕のトイレの回数が増えたことで気になったのかもしれない。

ココで改めてトイレの回数について説明します。
トイレの回数というのは1日に何回行ったかではなく、その時に何度行ったかということです。まとめて出るのではなく、少しずつ出る感じなのでその時に何度も行くことになるんです。

妻:トイレの回数多いよね、どうしたの?
僕:わからん。

ここまできても、僕は隠してました。病院に行け、と言われるのが怖かったので、いつもぶっきらぼうに答え、この話をしようとしなかったのです。

同じ体験をした方でないとイメージできないと思うんですが、うんちのことを気にしながらの生活はとても嫌です。
常に、いつ出るんじゃないかと気にしているんですから・・・。
嫌です。

この状況で、もし僕がサラリーマンであったならと思うと本当に怖いです。トイレのことで、この時以上に悩んだと思います。
これは、男性、女性関係なく、大人になって、排泄が正常でないということは、屈辱的なというか、周りに知られたくないという気持ちです。

ここまで、トイレとうんちの話ばかりです(笑)
しかし、大腸がん、特に直腸がんはうんちの話は避けて通れません。本当は「トイレとぼく」「うんちとぼく」このようなタイトルのほうがふさわしいかもしれません。

さて、この頃から、うんちの状態と合わせて体調も激変するのです。
 

下痢に、めまい・・・、起き上がれない。

 
僕のがんにおける経緯で忘れられない出来事が起きたのが5月です。

<2011年5月15日日曜日>
これを読んでいるあなたは「本当に起きられない」という経験がありますか。
疲れて、眠いし、もっと寝てたいということでありませんよ。
この日は朝から本当に体調が悪く起きられなかったんです。
起き上がる気力がないんですね。
こんなことは僕の人生で初めてでした。

また、うんちの話でごめんなさい。
この時は、急に便意を感じ、トイレに駆け込んだのです。
トイレ・・・・!、と思うと、気力を振り絞り立上ることができるんですね。不思議です。(もっと、違うところで気力が出せると素晴らしい人間になれそうです。)

しかし、この時は緩いうんちだったんです。
前日に飲んだ青汁が影響したのかもしれません。

アウト~!!

間に合いませんでした。そして、吐き気も襲ってきて、嘔吐です。
調子が悪い中、うんちと嘔吐ですから、しばらくトイレの中で放心状態でした。

まだ、自分に余裕があるから不安が起きる

浴室で下半身を流しながら、何とも言えない感情で一杯で、不安より今の自分の状況を支えることで精一杯だったと思います。
この時に学んだことですが、不安という感情が起こるのは、自分にまだ余裕がある時で、「それをどうしたらいいか」と行動できるサインであること。
 

あれ、意識が・・、倒れるかも、という恐怖感

<2011年5月16日月曜日>
この日は仕事で杉並永福に出かける予定がありました。
これは、通勤ラッシュの朝の出来事です。

根津駅(千代田線)を過ぎたあたりだと思いますが、急にふあぁ~という気分になり自分の周りがかすみ、吊り皮に全体重を支えるような感じで、ようやく立てている状況に襲われたのです。
しばらくこの状態が続き懸命に立っていましたが・・・
 
ついに、あっ、まずい!
 
という感じになり、新御茶ノ水駅で降りベンチに向い座り込みました。
僕は突然意識を失う経験はありませんが、正にその直前という感じではなかったかと思います。

ベンチで数本電車を見送っている間に目の感覚も戻り、徐々に体調が戻ってきて最悪の事態を脱したといった感じでした。おそらく時間にして15分程度であると思います。
仕事先に早く向かわないといけないという気持ちが、僕を回復させてくれたようにも思います。
人間の気力って凄いですよね。

僕が9月に倒れるまでの間、本当にやばいと思ったのはこの2つの出来言だけです。

しかし、これからの毎日、またこんなことが起こるのではないかと、トラウマになり、電車に乗るのも怖かったです。特にラッシュ時の地下鉄で電車が止まると不安で仕方なかったです。その時ほどではないですが、その恐怖心から今だに解放されてはいません。車中のアイテムも本から音楽に変わったのもこの頃からです。気を紛らすために元気な曲を聴いていたんですね。
 
また、夏場の暑さがこんなに厳しく感じたのもこの年。私は激やせし体調は最悪でした。
そして、これは大腸がんに限らないと思うのですが、お尻の肉が少なくなるようです。なので椅子に座ると骨が当たりとても違和感があるんですね。
 
カッコを付けていうつもりではありませんが、こんな僕を支えたのは仕事への気力だと思っています。他の方の闘病記録では「家族が支えてくれた」とよく聞きますが、この時の僕は違います。生活を支えるための仕事が僕の気力の源でした。

今だに、自分を誤魔化し、大腸炎と・・・

<2011年夏>
この頃は、まだ自分をごまかそうしていました。同じような症状をネットで探していたのです。似たような症状を探し自分を安心させたかったんだと思います。
そして、探したのが潰瘍性大腸炎でした。似ているといってもトイレを何回も行くことだけのように思えます。

妻にもこのように話したのを覚えています。医者でもないのに自分で病名を決定づけたのです。
 
僕:原因、わかったよ。潰瘍性大腸炎だよ。
妻:ふ~ん。そうなんだ。よかったね。原因がわかって。
 
4月頃から「病院に行け」とか「一緒に行くから」と妻に言われ始めましたが、でも、僕は「わかった」とか「仕事が少し落ち着いたら」とか、その場しのぎの言葉を返し病院には行かなかったのです。

そして、この頃やっていたのは漢方薬。

なぜかよくわかりませんが西洋医学に対してとても強い反感があったんです。そして、東洋医学に強い関心を持ち始めたのもこの頃です。切らずに治すみたいな方法の治療先をネットで探していました。
結局はいかなかったですけどね。
また、漢方薬も効果があるという記事を見つけ飲んでいました。これが、結構高いんです。1か月分で2万円位もするんですよ。だから、普段は飲まず「大丈夫」という気力を高めるために、仕事に出かる時だけ服用していました。
その他、潰瘍性大腸炎やクローン病に良いとされるレシピ本を買って食生活も変え、「この水を飲むといい」「熊笹がいい」いろんなものを探していました。

あれから、3年が経過したのでその頃のことを忘れかけていますが、きっと、かなり深刻になっていたんだと思います。
だったら、病院に行けばいいのに、って感じですよね。

その他の症状として、肝臓に傷みを感じたのもこの頃です。
これは結果的にガンが転移をしていたからなのですが・・・。

最後の気力を振り絞って、

<2011年夏>
僕が出かける時は、妻が必ず送り出してくれます。
この頃の会話はこんな感じです。
僕:じゃ、行ってくるね。
妻:大丈夫かね?
僕:そういう風に言うなって、
 
本当に歩くことさえ辛い時でしたから「大丈夫?」と言われると不安になり、これから仕事に行くための気力が吸い取られてしまうような気がしたんです。

恥ずかしい話なのですが、
仕事で出掛ける時は、必ずトイレットペーパーを何重にも重ねて、お尻に充ていたんですよ。ティッシュが落ちるのでパンツにテープで固定していたりしていました。
笑えます。

何故かと、いうと、もうお尻が限界でした。
仕事中もポロッと出てしまうのです。
そのため、とりあえずティッシュで受けるみたいな感じです。
そして、トイレがない場合は人がいない所でお尻を拭いていました。

血が多く混じり、嫌でしたけど、
とにかく、バレなければ・・・という気持ちが先でした。

今さらながら、よくこんな状況で仕事ができたと思います。
しかし、これから起こること思えば全く褒められることではありませんけどね。

妻からこの頃の話を聞くとこのように言っています。

どうなってしまうんだろうか、いづれ大変な時が来る・・・と
思っていたそうです。

そんな中、9月を何とか迎え4日日曜日、神奈川の大倉山に仕事で出かけました。
その時、お客様から言われた言葉があります。
 
お客様:すごい痩せましたね。ダイエットですか?
僕:いえいえ、
 
僕はろくな回答もせず「いえいえ」と会話をごまかしただけでした。この時、仕事先まで坂道があったのですが、とてもしんどかったことを覚えています。

そして、
これが2011年の最後の仕事なってしまったのです。
 

働きざかりのがん。僕からあなたへ。

もう、ここまで、来たら、手遅れにちかいよ。ステージ3後半か4だ。でも、がんは、自分の体が堪えられなくなるまで、がんばってしまう。
がんは、早期発見であれば、助かる病気だ。でも、僕のように働きざかりであれば、いつも仕事が優先となって、体は最後になる。とくに、大腸がんは、お尻のことだから、病院に行きたくないよね。
こんな気持ちが、僕の失敗だった。あなたはこんなことがないよう、必ず病院にいってくださいね。
 
 

ー《経緯 この時に》記事一覧ー

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