(大腸がんと脳梗塞その1)救急車で運ばれる

呂律が、そして、右手があがらない。

2011年9月5日 朝
この日の朝は、今(2014年)でもよく覚えています。
朝の目覚めはよかった。気分も悪くない。その後、トイレに立ち上がった時に少し違和感を覚え「なんか平衡感覚がおかしいかなぁ」という程度で、特に緊急性は感じず、ヨロヨロしながらも普通にトイレに行きました。この頃は、このようなことくらいではあまり驚かなかったのかもしれません。

この日は、外に出かける仕事が無かったのでソファーに腰を下ろし、ぼぉ~とテレビを見ていました。
少し、怠い感覚ではあったと思います。

妻は洗濯のため洗面所とベランダを行き来しており、何の変わりのない、我が家のいつもの朝の光景でした。異変に気づいたのは何気ない動作からです。ふっと、右手を挙げようとした時のこと、

あれっ? 手が挙らない。・・・・

とっさに妻を呼びましたが、
うっううう・・・・と声にならないんです。
というか呂律が回らず、言葉として声を出せないんです。

妻:えっ、だいじょうぶ?、救急車呼ぶ?・・・・
と妻が私に問いかけます。
僕:う・ん・・・・
 
と答えるのが精一杯で、かなり気が動転していたと思います。

いつも何気なく動かしている体が動かない、
いつも何気なく話ている言葉が声とならい。

この時のことを、後から妻から聞くと、
「来る時が来たな」という思いだったそうです。

救急車待つ。でも、どうして、Suica?

妻が119に連絡をしてから、すぐに電話が鳴り私がとりました。119からの確認の電話です。相手の質問に必死に答えようとしたのですが、やはり全く言葉とならないのです。
「落ち着いて話してください!」・・・・と言われましたが、
今、思うと自分の身に起こった突然の出来事すから、落ち着くことなんてできません。

でも、自分でパジャマから洋服に着替えましたから、気は動転していましたが左手で懸命にやっていたのだと思います。
その時、手にして持って出たのはなぜか「スイカ(JR東日本のIDカードです)」救急車に乗るのに「ピッ!」なんて、かざすつもりだったんでしょうか。(笑)

そう言えば、さかのぼること10年程前、深夜に我が家の隣が火事を起こした時がありましたが、その時に持って出たのが固定電話のワイヤレス子機でしたから、何やってんだという感じですよね。

3・11の震災の時には家にいたけど、あの時は逃げるというより仏壇とテレビが倒れてはいけないと思い両手で押さえていましたよ。本当に私は何をしてんだか。

やっぱり、非常時に備えて準備は必要ですね。天災、自分、また家族の非常事態を想定して日頃の心構えを備えるべきですね。

気が動転して、死を意識。

この時、私は死を覚悟しました。
えへっ、かっこいいでしょ。
だって、死を覚悟した男ですよ。かっこいい~ 
「あなた、死んじゃだめ~!」
「世話になったなぁ、幸せになれよ。カクッ、」

でもね。真面目にこの時、死を意識したんですよ。
玄関先で妻に言葉にならない言葉でこういったんです。

ごめんね。ユウを頼む。(ユウとは娘の名です)

怖いという感情は全くないんですが、もう戻れないんじゃないかって思ったんですね。

なんで、消防車!?

かっこよく死を覚悟しながらも、意外と余裕な自分もいます。
「もう〜遅いな! まだ来ないのかよ。・・・・」と
バリバリに助かりたいという気持ちの自分がココにいます。
そして、家の外に座り込み、救急車を待っていたんです。

で、そこに現れたのが消防車。
「えっ、なんで~? 赤い大きな車が来るの?」
消防隊員が降りてきて、僕にこう言いました。
「今、向かっています。直ぐにきますから・・・・」と、
全ての救急車が出払ってしまい、他の管轄から向かっているようなのです。
「は・い・・・」と素直に頷きましたが、心の言葉は「何やってんだ、バカヤロー」と死を意識した男とは思えない未練がましい身勝手な自分もいるんですよね。笑えます。

それから、ようやく救急車が到着しました。この時の僕自身の印象は、瀕死の状態であると思っていたのですが、妻にはそう映らなかったようです。妻が言うには「自分からストレッチャーに乗り、意外と元気だったと」僕も自分でストレッチャーに乗ったのは覚えています。確かに、言葉と右半身の麻痺はありましたが、痛いなどの症状はなかったので、何もかも初めての事で気が動転し自分でかってにそう思っていたのかもしれません。

救急車の中で感じたこと。

この時、救急隊の方が一生懸命に処置をしてくれたんです。たくさん話しかけてくれて、私は頷くことしかできませんでしたが、なんかほっとした感じとなり、そして、呼吸器を口にあてられてから、すぅ~と気分が落ち着いたことを鮮明に覚えています。

こういう時って不思議ですね。
救急車に乗るのは父が他界した時以来(私25歳)なんですが、その時のことを思い出すんですね。
その時は父が呼吸困難となり救急車を呼んだのですが、車の中で、苦しみながら声をあげ呼吸器を求めていたんです。
藁にもすがるような感じの父の姿です。私は強い父のイメージ像があったので、意外な姿を見てしまった感じで、父に何も声を掛けられなかったんですね。その時も救急隊の方が懸命に処置をしてくれていました。
今度は自分が乗る身となって「苦しかったんだろうなぁ」と救急車の中で父の時のことをあらためて思い出したましたね。

こんな中、僕はどこの病院に向かっているのか見当もつきません。
救急車から降りた時に覚えていることは、病院の入り口に患者らしき人が立っていて、私のことを見ている視線です。
そして、緊急治療室に入っていたこと・・・・。
 
 
<大腸がん脳梗塞>ー記事一覧ー
なぜ、脳梗塞?
その1、救急車で運ばれる
その2、なぜ、脳梗塞?
その3、こころとからだ
検査始まる
その4、まずは胃カメラ
その5、2リットル下剤との戦い
その6、もうバレバレだよ
結果
その7、ステージ4の診断
その8、死ぬ気がしない?
方向性
その9、夫婦の一致
その10、方向性が決まる
その11、ネバーギブアップ

 

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